輪郭の刮目、瞬間の残置 in「D Office」

眼鏡をかけていたりコンタクトレンズをしていたり、目に何かしらのフィルターをかけて事物を見る。この行為はとても当たり前で何も疑うことはないが、実際にはフィルターというものが介入している。では、裸眼が何も介さないのかといえば、これもそうではない。
室内から窓を介して外を眺めたり、雨の日のビニール傘を通した景色だったり、スマホなどのデバイスを介して、観光地の写真を撮影したり、子供の動画を撮ったりと、無意識のうちに対象物との間に何かしらのフィルターを介してしまっていることが多い。

では、鑑賞する人の行為に帰属しないものはどうだろうか。
飲料の入ったペットボトル、電車の車窓、自動販売機のガラス面、惣菜の容器など、私たちの生活の中の多くの場面にフィルターは登場してきている。
そのように考えると、何かを介して見るということはとても当たり前の行為ではあるが、そのフィルターを自然の産物と認識してしまうと、事物とはしっかり対峙できないことも容易に理解できる。

計画地は単純な言葉で説明すると、敷地周辺は山に囲まれている。
山というものは一つの景色ではないし、それを全体像として捉えるか、部分的に見るかでも、現れる絵は大きく異なってくる。
例えば、過去に訪れた旅先の街並みを誰かに説明する時も同様で、同じ街だったとしても、ある人は夜景が綺麗だったと言い、ある人は港が活気付いていたと言う、各個人それぞれが持つ視点や焦点というものは、フィルターを介す行為とは違って、より意識的に作用していると考えられる。

本計画では、周囲の山や、敷地周辺の草花、敷地付近の建物などを撮影し、それらを最背景とし、また別の日の工事現場内で整列していたガラス群を撮影し、こちらをフィルターとして重ねている。ぼんやりと眺めていると見慣れた景色が浮かび上がることもあるが、そもそも実体が付近にあるのだから、そちらの実体を直接見ればいいような気もする。

ここに残されているのは、ある瞬間と、別のある瞬間であり、それらはこの場に固定されているが、その焦点を定めた人間はこの建物内にはおらず、この社屋の人たちにとっては他者によって切り取られた風景になっている。
この状況を無意識下で介したフィルター越しの風景と捉えることもできるし、惣菜の容器やペットボトルのように、半ば強制的に覆われた像とも捉えられる。

あくびをした後の涙目で見る景色や、酩酊してしまった時に見る景色が、普段の景色とは違うように、その時その時で、見るもの、見えるものは変わってくる。
そもそも、普段の景色というものは一体何なのだろかということを考えながら、固定された景色と軌道する輪郭を残置することにした。

2026
所在地
高知県高知市
種別
事務所+工場
担当
山本紀代彦、森永一有
施工・施工管理
杉本隆治(マナトレーディング株式会社)
國政寛、浜村利矢(株式会社シンヨウインテリアサービス)
建築の設計
矢野泰司、矢野雄司、杉浦哲朗(矢野建築設計事務所)
写真
河田弘樹