無意識し始める始点、それを意識させる終点 in「立命館大学びわこ・くさつキャンパス_グラスルーツイノベーションセンター」
人はなぜ山頂で写真を撮ってしまうのだろうか。
山登りという行為は山に登って降りるまでを一連としている。
それなのに「この山を登り切ったぞ」という言葉をつい発してしまったり、とても当たり前のように山頂で写真を撮ってしまう、思わず旗などを持ってしまうこともあったりする。山を登るという行為でいうと、中間地点、折り返し地点なのだが、自分自身が山を登った時を思い返しても、やはり山頂で写真を撮る。
この行動を目的、結果、欲求に分けて考えてみる。
仕事だったり趣味だったり、自分で「これをやろう」と心に決めたことだとしても、それなりに上達してきたり、満足のいく成果や結果ができてくると、評価されたい、褒めてもらいたい、「こんなにすごいものができたぞ」となってしまう。
自分で決めたことを完遂できたのだから、自分自身が満足であれば、それでいいはずなのだが、途中から「他人からどう見られるか」というノイズが湧いてくる。
山に登って、無事に下山して、近くの食堂などで仲間たちと食事をしながら、楽しそうな写真を撮る。そんな風な生き方ができれば、きっと幸せなのだろうが、そういったことをすんなりできないのが人間らしいということなのかもしれない。
本計画では、破線のように分節されている場に実線をきちんと引き、カーテンを設けることで、一時的な室を作るということが目的である。
コの字型に描いたカーテンレールに4枚のカーテンを間隔を空けて吊り、間口をつくる。
室内から見るとカーテンを介して廊下というものを知覚し、廊下から見ると室というものを認識する。さらに角度を変えて距離を置いて見てみると、何も名前のなかった場所に、内廊下と外廊下が2本発現していることに気づき出す。
目的はカーテンで一時的な場を作ることだったが、いつの間にかカーテンの実線を貫通して2つの廊下の破線が現れるという副産物が生まれている。
一方向から物事を捉えると見えるものと見えないものが存在し、もう一方から見るとそれは逆転し、見えていたはずのものが見えない。
全てを理解しようとすることはとても困難で、それを達成しようとする過程もとても険しいものではあるが、そこでしかない見れないものがあると探求しようとしたくなるというのが、やはり人間らしいのだろうと思っている。
- 年
- 2025
- 所在地
- 滋賀県草津市
- 種別
- 教育施設
- 担当
- 山本紀代彦、森永一有
- 施工・施工管理
- 國政寛(株式会社シンヨウインテリアサービス)
- 建築の設計
- 岩崎宏、成田康輔、津田加奈子(株式会社竹中工務店)
- 建築の設計監修
- 学校法人立命館キャンパス計画室
- 写真
- 河田弘樹