名は剥がれる、或いは設けない in 「野口の識閾」

世の中にはなんと呼べば適切なのかがわからないものがある。
この静岡県浜松市の住戸改修では、要素が混ざり合っている、あるいは属性が識別できない、そのような状態だと思う。平面では隣接する西面道路と平行になるよう都市軸からの線を引き、立面では生活者が持つ別宅である民家の生活様式を採用している。
平面配置的には収納前、玄関、リビング扱いとなる室、洗面、と各室を横断するような配置とし、カーテンは3つに分割した。カーテンと記したが、立面ではキッチンの天板高さに丈を合わせており、高さ関係で言えば暖簾的な設えである。また、階高が一段下がった位置となるキッチン側から暖簾を見ると、民家の床の間にある掛け軸のような寸法。
プロポーションは別宅民家周辺の石積み塀や林の密度とシンクロさせて、細かな蛇腹状とした。そして用途的には、住戸内へ入室する際の玄関網戸のようであり、リビング側から見ると背景幕のような密度感となる。
列挙するとこのような感じで、この幕を定義づける要素は乱数のように変化し続け、名前があるのか、途中で剥がれてしまったのかが、わからない。
その中で、3つに分割される召合わせ位置は、室の切り替え点ではなく、生活に関わる行為に帰属しており、平易に言えば生活動線の補助点のようなものである。
さまざまな要素が並列的に意識化する中で、生活を円滑にする行為に同意する奔放な句読点のようなものがあることで、名前があることが適切なことなのか?と物事の優位性を疑った寛容な生活になってくれればと思っている。

所在地:静岡県浜松市

担当:山本紀代彦・森永一有・西垣佑哉

住戸の設計:彌田徹・辻琢磨・橋本健史 / 403architecture [dajiba]

写真:河田弘樹

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